SANKEN ARCHITECTS laboratory住宅にまつわる研究レポートとコラム

自己紹介と私がこのブログで伝えたいこと

date_range2022-1-07
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こんにちは。株式会社三建 副社長の中澤です。

この記事では、私のこれまでの経験や家づくりに対する考えや想いについて述べさせてもらいたいと思います。

私の生い立ち

私は物心ついた頃、父親の仕事の関係で広島の旧国鉄の社宅(官舎)で育ちました。

もう50年以上前の話です。

当時の社宅(官舎)は当時でもかなり古い木造の建物でした。

外壁も「木」でできており、台風の時には海辺に建っていたということもあり、窓という窓に木の板を打ち付けガードをするものの屋根からの雨漏りがひどく、バケツを置いて雨漏れの水をしのいでいました。 

海が荒れるときは海水が堤防を越え、家までふりそそぎ、子供心に台風って怖いな~と思ったものです。

子ども時代の家づくりの思い出

その後小学2年生の頃に、社宅(官舎)の建替えで5階建てのアパートとなり、その1階にはいりました。さすがは新築で今までの社宅(官舎)とは比べ物にならず、台風の時も静かで揺れもなく、安心して過ごす事ができました。

そして中学2年の時に日本3景の宮島を見下ろす事ができる大規模な分譲地に土地を購入し、家を建てることになりました。

父親に何度か更地の土地に連れて行かれ、「ここに家を建てるんだぞ!」と嬉しそうに言われたことを子供ながらに覚えております。

当時、住宅の営業の方が何度と無く家に来て打合せをし、ついに新築の家が完成をしました。

現在築43年になろうかとしておりますが、特に今話題の欠陥住宅ということもなく、今ではその家は、父母二人だけとなりましたが、大きな地震にも幾度と無く耐え、何度か手をいれたものの今もがっちりと建っており、帰省の度に安心して泊まることができます。    

ただ、洗面所の床だけは下地が腐っているのかブヨブヨになっております(笑)

高校を卒業し京都の大学に進学すると実家から離れいわゆる下宿先で暮らすこととなり、今ではすっかりと実家に帰ることも少なくなりましたが、帰る度に、社宅(官舎)のことや新築の家に引越ししたときの事を思い出します。

小学校6年間は柔道一直線(いまや知っている人は皆無???)に憧れ、柔道を習い、中学・高校と野球、大学時代は建築とは全く関係のない法律を学びましたが、体育会の少林寺拳法と武道とスポーツ三昧の生活でした。 

その中で「チームワーク」の大切さや「脚下照顧」(足元をよく見ろ)、「自分を磨く(鍛える)」、そして結果、自分を強くすることで自分の周りの人を守れる人になる、ということを強く学びました。 

その後大学を卒業し、大手百貨店に就職し神戸店の外商部に配属されました。

社会人時代

大手百貨店では神戸市東灘区の御影山手・住吉山手と高級住宅地と言われるエリアを担当することになりました。

一般の外商のお客様を訪問し主に宝石や時計、美術品、毛皮、家具、カーペット等の高額品の販売を経験しました。

単に販売をするということではなく、買っていただくためには、先ず自分のことをよく知っていただかなければ買っていただけないということを学びました。

百貨店は福利厚生が充実しており、毎年年明けに長期休暇をとりヨーロッパが好きでフランスやイタリアを旅したことも良い経験となりました。

阪神淡路大震災を経験

外商で9年間経験を積む中、阪神大震災を経験しました。

自然災害の恐ろしさ、建物の重要性、「耐震性・耐久性の劣る建物は人の命まで奪ってしまう」ということを強く経験しました。

そこで、まずは地震に強い家、かつ壁体内結露が少なく耐久性の高い家を建てたい!と木造某トップメーカーに転職を決意しました。

某大手ハウスメーカーでは1年目からトップセールスマンの仲間入り、1年目から全国表彰を受け海外研修で大好きなヨーロッパ(オーストリア・オランダ・イギリス)に行かせていただきました。

写真はアムステルダム製材工場です。

その時は「なんて良い会社なんだ!」と思いました(笑)

某大手ハウスメーカーでの営業活動自体は約11年間で160棟のお客様の家づくりに携わらせていただきました。

当時家づくりのお手伝いをさせて頂いたお客様は今に至っても会社名ではなく自宅からの年賀状でやり取りをさせて頂いております。

自身の家づくりと家づくりへの想い

私は、某大手メーカー入社7年目に念願のマイホームを新築しました。

実は、当時の私は4支店の支店長で各地を転々とし単身赴任となったため、ほとんどこの家には住んでおりません(泣) 

自宅の1階リビング(左)と2階リビング(右)

でも、子ども2人を含めた家族はこの家を拠点に快適に過ごしておりますので大変満足しております!

  

1組のお客様との出会い

私自身が携わらせて頂いた家づくりの中で、忘れられないお客様の話をさせてください。

約20年前、そのお客様はご先祖様が某大手ハウスメーカーの社史にも載るような愛媛県新居浜市の発展に多大な貢献をした方でした。

そのご主人様の夢は大きなお風呂を作ることでした。

建築地が住宅地ということもあり面積制限がある中、それでも6帖のお風呂を作りました。竣工時の大変うれしそうな笑顔が今でも浮かんできます。

3か月点検の際に奥様が言われた

「今までと違って主人が、夕方には帰ってくるんです…。すぐにお風呂に入って1時間も入るんですよ…」

と大変なんですと言いながら嬉しそうに話してくれたことを今でも思い出されます。

「早く帰りたくなるような家」「自分の居場所」

家を作るとはこういう事なんだと思いました。

今思えば、それが私の家づくりの原点のひとつかも知れません。

最後に…

某大手ハウスメーカーでは約21年間お世話になりました。

そして52歳の時に、縁あって株式会社三建に入社いたしました。

三建に来て思ったことですが、今までの大手ハウスメーカーでの、新築部門やリフォーム・メンテナンス部門、建材部門等の経験は三建に来るためにあったのかな?と思うほど今の仕事に役立ち、今までの知識と経験を三建のために活かし、もっともっと地元に根づいた良い会社にしていきたいと思っております。

これからも勉強を重ね、先ずはご家族全員が

安心して住める家」

「居心地の良い家(素材)」

「早く帰りたくなるような家」

「休みの日にのんびりできる家」

「健康的で明るく過ごせる家」

「間取りは家族の生活を変える」

ということを強く意識して、そういった家を今後も建てていきたいと思っております。

これからも皆様の良い家づくりのお手伝いができるよう、より一層精進していきたいと思っておりますので今後とも宜しくお願い致します。

             

投稿者プロフィール
取締役副社長
中澤 博明
大学卒業後、神戸の百貨店で外商を9年間経験した後、阪神大震災後の建設ラッシュもひと段落した逆風の時期にも関わらず思い切って大手ハウスメーカーへ転身。
転身直後からトップセールスマンとして約11年で160棟のお家づくりに携わるという異例の経歴を持つ。
大手ハウスメーカーでの担当としての経験や管理者としての経験、そして自身の家づくりの経験をもとに、お客様の想いを形にすべく、大手から地元加古川に密着した住宅メーカーの指揮をとる。
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